豊臣石垣館Museum

- 開館時間
9:00~18:00
(入館は17:30まで) - 休館日 年末年始(12月28日~1月1日)
- 入館には大阪城天守閣の入館料が必要です。
- 公開石垣の動きや環境変化を観測し、安全に観覧いただけるよう努めていますが、予期せぬ崩落などを完全に防ぐことはできません。石垣の状態により、予告なく公開を中止することがあります。
地中の豊臣大坂城
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大坂夏の陣図屏風(重要文化財) 大阪城天守閣蔵 豊臣秀吉が築いた大坂城は、「三国無双」・「日本一堅固」と称賛される豪壮華麗な城でした。しかし秀吉の没後、大坂夏の陣で落城。その後、徳川幕府は大坂城の再築にあたり、豊臣家の権威を消し去るかのように、豊臣大坂城を大量の盛り土で地中に埋めてしまいました。いまの大阪城の石垣や堀は、すべて幕府による 再築時のものです。豊臣期の石垣を地上で見ることはできません。
「大阪城 豊臣石垣館」では、昭和59年(1984)の発掘調査で姿をあらわした豊臣期石垣を、地中に降りてご覧いただくことができます。徳川再築の石垣とは異なる魅力と迫力、そして驚くべき盛り土の分厚さを体感していただきます。-
天正11年 (1583)
羽柴(豊臣)秀吉が大坂築城を開始
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慶長 3年 (1598)
豊臣秀吉が没する
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慶長20年 (1615)
大坂夏の陣。大坂城落城
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元和 6年 (1620)
徳川幕府が大坂城再築を開始
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昭和59年 (1984)
豊臣大坂城「詰ノ丸」石垣発見
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令和 7年 (2025)
「大阪城 豊臣石垣館」
オープン
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本丸の中心部の石垣を公開
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豊臣時代大坂城本丸図 「大阪城 豊臣石垣館」では「詰ノ丸 」を防護した石垣を公開しています。
詰ノ丸は秀吉・おね夫妻や淀殿・秀頼母子が生活した プライベート空間。本丸のなかでも最重要の中心部 です。
豊臣石垣の特徴と見どころ
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野面積み
自然石をほとんど加工せずに積む、素朴で荒々しい「野面積み」の技法で築かれています。
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戦火の痕跡
大坂夏の陣の猛火をうけた痕跡が石垣の表面に見られます。
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裏込め石
石垣の裏側には小さな石が詰めこまれています。 水はけを良くするための工夫です。
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転用石
古代寺院の礎石なども運びこまれ、積まれています。
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算木積み
石垣の角部分を強固に築くため、直方体の石を交互に積み上げる 「算木積み」の技法。
その原初的な姿を見ることができます。
徳川幕府による盛り土
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豊臣大坂城の本丸は「詰ノ丸」・「中 ノ段」・「下ノ段 」の三段構造になっていました。徳川幕府は再築時、中ノ段レベルでは約6mの盛り土をほどこし、豊臣石垣を埋め殺しにしました。
フロアマップ
※大阪城 豊臣石垣館の館内にはお手洗いはありません。
